「座右の銘は『適当』?!水のようにしなやかに、変化も逆境も乗り越えて来た男」~Doingの背景のBeingを探る~「キャリクラ酒場」vol.13

今回の主役はプロコーチの本間達哉さん。約200社500人以上のマネジャーへのコーチングや組織開発のプロジェクトを推進してこられたベテランです。2019年に所属組織を退職された後は、(一社)ダイアローグ・カフェ・クラブの代表、コーチ、メンター等幅広く活動されています。

私(キャリコン齋藤)がコロナ禍中にコーチングを学びなおした際、本間さんにメンターをやって頂いたご縁から、今回のご登壇となりました。理屈屋で何かと面倒なタイプの私にも辛抱強くお付き合いくださるそのメンタリティはどうやって培われたのだろうと、不思議で不思議で・・・

本間さんは、石川県の山中温泉のご出身。お父様は国立病院の医師で、校医なども勤められていたので、周りから「本間先生の息子」として特別扱いされ、甘やかされて育ちました。当時流行っていた漫画のヒーロー達は皆厳しい生い立ちを経験していたことから、自分の恵まれた環境への息苦しさや嫌悪感、逆境への憧れを抱いていました。一方、二人のお姉様がいらっしゃり、長く一緒に過ごしたことから、今でも女性の中にいる方が安心感を覚える、男性の方がちょっと苦手という特性が形成されました。特に、すぐ上の次女のお姉様からは厳しく鍛えられ、それが唯一の逆境でしたが、それでも大好きでくっついていたため、理不尽にも耐える精神的なタフネスが身についたのかも、と分析されています。


キャリアの最初の転機は中学2年生の時に訪れます。お父様の転勤により静岡へ引っ越したのです。お父親の職業のことを周りに知られず、特別扱いされない環境を手に入れ、「リスタートできる!」と大喜び。今からは信じられない表現ですが、当時、北陸など日本海側は「裏日本」、太平洋側は「表日本」と呼ばれていたそうで、その土地の風土の違いにもカルチャーショックを受けます。本間さんご自身は北陸出身のシャイな性格から「謎の転校生」というポジショニングとなり、人生初のモテ期を経験。この裏日本から表日本への環境変化と、そこからご自身を解放した経験も、本間さんの人格形成に大きな影響を及ぼしました。


しかし、その後の進路選択において、本間さんは挫折を味わいます。お父様が医師だったことから、最初はなんとなく「自分も医師になるのだろう」と考えていましたが、理数系科目が全くダメで医師の道は諦めざるを得ませんでした。お父様は、 息子の教育には無関心で、関わりも殆ど無かったため、通知表も見せたことが無く、従って勝手に「医学部に行くんだろうな」と期待があったようです。本間さんが高校3年生の時に「無理です」と告げた時、お父様はかなりショックだったらしく、その様子を見て本間さんご自身もショックを受けます。医者仲間では「息子さん、そろそろ大学ですよね、どこに行くんですか?」のような会話があり、 お父様が見栄を張って「うちのは自分と一緒の進路にはさせないんだよ」などと仰っていたことをよく覚えているそうです。医師であるお父様のご期待に応えられなかったことに悔しさを感じながらも、医療分野への関心と、子どもの頃から読んでいた推理小説から影響され興味を持っていた心理学への関心から、医療ソーシャルワーカーを目指し、上智大学の社会福祉学科へ進学しました。

(飲みながらご自身のことをしみじみ語る本間さん)


大学では、卒論を書くために地元静岡の精神科病院に泊まり込み、患者さんと職員の関係性に着目し、どのようなコミュニケーションをとっているのかをまとめたそうです。コミュニケーションの取り方が患者さんの症状に大きく影響することを実感され、それは今のコーチングにもつながっているそうです。


大学卒業後、社会人としてのキャリアは、神奈川県の相模原児童相談所からスタートします。当初は精神科に行こうと考えて実習にも行き、ソーシャルワーカーのポジションの空きを期待していましたが、空きが出なかったのです。同じタイミングで、神奈川県の臨時職員の募集があったため、福祉職員となりました。児童相談所では、社会人1年目ながらも、いきなり現場に出されます。最初に担当をしたのが3歳児検診。子どもに障がいがある可能性を示唆されてショックを受けている母親の心配を柔らげたくなり、つい「大丈夫ですよ」と発言をしてしまったところ、指導担当者から「無責任な。本当に障がいがあったらどうするの」厳しく叱責されたことは今でも覚えているそうです。大学時代、カウンセリングの練習はしていたものの、本当の受容とはどういうことなのか、習うことと実践は違うということを痛感した出来事でした。


福祉職としては児童相談所で4年、養護施設で4年間、計8年間勤務します。児童相談所時代によくコンビを組んでいた同年代のイケメン臨床心理士のMさんとは、プライベートでもよく一緒に遊んでいましたが、養護施設に転勤になった後も、施設の子どもたちとの付き合い方や、保育士さんたちとのコミュニケーションの取り方について相談にのってもらっていました。


そんな時にMさんに紹介されたのが「i」という名前のセミナーです。(一般的な言い方でいうと「自己啓発セミナー」ということになるのでしょうが、本間さんはその呼び方を使うことに抵抗があり、ここではiセミナーと呼ぶことにします)iセミナーに対しては、Mさんに対する信頼感から何の抵抗もなく、すぐに申し込み、4日間の基本的なプログラムの後も、積極的にその活動に関わりました。その中で「受容する/される」「あるがままの自分の価値に気づく」という体験がご自身の自己受容に繋がり、施設にいる子どもたちとの関わりも大きく変化していきました。

本間さんはiセミナーでアシスタントのような役割も担うようになり、29歳の時、福祉職への未練を断ち切り、神奈川県職員を辞めてセミナースタッフとして転職しました。本間さんにとっては大きなキャリアチェンジでしたが、大学で学んだこと、福祉職で学んだこととはしっかり地続きであり、すぐに頭角を現し、入社3年目で大阪オフィスの責任者に抜擢されたりもします。


その後10年程時が過ぎ、1990年代半ば。インターネットの台頭など社会情勢の変化により自己啓発セミナーの活動スタイルも進化します。より個人に焦点を当てた1対1の関わりへと移行し、その手法はコーチングとして編集され、新たな会社も設立されました。本間さんご自身もこの変化を自然な流れと捉え、コーチング業界へ転身します。


入社した会社でも、企業研修やエグゼクティブコーチングで更にキャリアを積み、取締役まで昇進した本間さん。しかし2008年頃、「担当チームの数値目標を達成していない」という理由から、社長の一声で役員から平社員への降格をさせられます。それ以前も何度か社長の逆鱗にふれるようなことがあったので、降格もやむなしと受け入れて平社員になった本間さんでしたが、さすがにショックは大きく、この時初めて会社を辞めることを考え始めます。ただ新しい会社に転職するという発想は全くなく、コーチまたは研修の講師として独立、さらに好きなことを副業として、という今の形態での仕事のイメージができました。


「自分の好きなことって何だろう?」ということを考えるようになってたどり着いたのが「カフェの経営」でした。奥さまもおしゃれなカフェ好きで、休日にはよく一緒にカフェ巡りをしていて、こういうのをいつかやりたいね、という話になり、会社には内緒でカフェスクールにも通い始めました。それが2011年、今から15年前のまさに震災の年です。


そして、本間さんは自分を降格させた社長のことはけっして嫌いではなく、むしろ尊敬しており、さらに今後コーチとして活動を続けるにはこの人を敵に回すのは得策ではないだろうという計算も働き、60歳の定年までは会社を辞めないという決断をしました。この社長は男性ですが、幼少期の頃からずっと男性が得意ではなかったはずの本間さん。ご自身の父親との関係性が希薄だったためか、時としてネガティブなことがあっても深く関わり続けてくれる社長を慕う気持ちもあり、時にわざと叱られるような、甘えのような態度をとっていたようだ、と自己分析されています。(キャリクラ酒場の参加者からは、「社長が本間さんに甘えていたのでは?」という感想も聞かれました。)その後、苦手な営業の仕事から離れ、コーチの育成や品質管理、教育プログラムの開発を中心としたチームのマネジャーになってからは自分のペースで楽しく仕事することができました。そして2019年の定年退職を迎えました。


定年後は、コーチとして独立しながらも長年の夢を叶えるべく、定年退職時に「3年以内にカフェを開く」と周囲に宣言。コロナ禍で対面研修が困難になる一方、オンラインでのコーチングが可能になったことと、良い空き物件が出たタイミングを捉え、2021年に横浜市大倉山にカフェ「ありをり」を開業。現在は週の前半にコーチング、週の後半にカフェ運営をされています。やりたいことを実現し幸せを感じる一方、休みが無く体力的に厳しい面もあるそう。


参加者から座右の銘は?と訊かれ、「適当」と答えた本間さん。「適切に当たる」という本来の意味と「いい加減」の両方のニュアンスを含んだ「いい塩梅」を大切にしているそうです。幼少期の経験と環境の変化から「表と裏」の二面性が形成され、MBTIなどの性格分析テストをやるたびに、自分の思考や行動の特性をひとつに絞れないなど、多面性のある自己認識を持たれています。

約10年周期で訪れたキャリアの転機の中で、本間さんが変化や困難を乗り越えられ、主体的にキャリア選択をし続ける原動力となった根源も、自己啓発セミナーで見出したご自身の「軽やかさ」という本質にあると語られます。深刻な状況でも意識的にポジティブな側面を見る「スイッチの切り替え」によって、物事をしなやかにかわすことができる強みをお持ちなのです。


定年退職後、地域などで居場所を見つけにくく、孤立しがちなシニア男性が多い中、しなやかにカフェという場を自ら作ってしまわれるあたりも流石です。福祉や心理学、自己啓発などの学びがべースとなり、福祉職も経て来たことが、私の様な面倒なタイプをも受容するコミュニケーションの懐の深さ、そして、この世代、そして、産業界には珍しい、「水」の様なしなやかな存在感に繋がっているのでしょうか。

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